日本とベトナムを行き来して、「一人でも多くの人の目に再び光を感じさせてあげたい」という志のもと、治療を続けてきたフリーの眼科医「服部匡志」先生が5月19日(木)放送の「カンブリア宮殿」に出演します。
服部先生は、ベトナムでは無償で手術や治療をしていて、日本とベトナムで合わせて約3万5千人に光を与え続けています。
そういったベトナムでの活動もあり、日本では特定の病院には所属せずにフリーランスの眼科医として、世界でもトップレベルの技術を保ち続けています。
今回は服部先生が医師を目指した過程や、現在の家族・年収について、日本ではどの病院で診てもらえるのか?というところを調べてきたので紹介していきます。
服部匡志眼科医ってどんな人?
経歴・プロフィール
名前 :服部匡志
よみかた:はっとりただし
出身地 :大阪府
生年月日:1966(昭和39)年
年齢 :52歳(執筆時)
血液型 :O型
出身高校:大阪府四條畷高校
出身大学:京都府立医科大学
職業 :眼科医(フリーランス)
服部匡志眼科医になるまで・・・
服部先生は特に裕福な家庭ではなくて、親が医者とかそういうのではなかったのですが、高校生の時に父親がガンを患ってしまいます。
その時に父親の見舞いに行った時、医師と看護師がこそこそと話していたのを偶然聞いてしまいます。
[su_note radius=”0″]「82号室のクランケ(患者)は文句ばかり言って本当にうるさいやつだ。どうせ、もうすぐ死ぬのに」[/su_note]
医師は病気を治して命をつなぎとめてくれる神様のような存在だと思っていた。
父親があろうことか、命を委ねている医師から侮辱されたらしいです。
こんな医師がはびこっていては世の中はよくならないと奮起して「だったら僕がいい医者になってやる。そして、病気で苦しんでいる人に報いたい」と心底思って現在の素晴らしい医者になったということです。
とはいっても服部先生の高校時代はあまり成績が良くなく、先生には医学部志向だと言うと「こんな成績で行けるわけがない」と笑われたそうです。
おそらくですが数学や物理・・・いわゆる理数系のテストでは赤点ばかりだったらしく、その時は先生も「冗談はよせよ」的な感覚で言ったんでしょうね。
ただ「一生懸命、死ぬ気でやったら2年ぐらいで行けるようになる」と打診されたのでやる気を削ぐような感じではなかったようです。
お父様を亡くされての決意だったので、先生にも想いの強さが伝わったんでしょうか?
結局のところは4年間浪人をして京都府立医科大学に入学します。
4年間の浪人生活はやはり困難な道だったようで「不思議と今になって、この時の苦労が僕の人生で生きている」また、「今でも不思議なもので、困難になればなるほど、心は燃え体の芯からエネルギーが溢れてくる」とも言っています。
服部先生の心の強さが、患者さんたちの心の支えになっているんだと思いました。
人生の師との出会い
服部先生はお父様が患った胃がんの医師となるために消化器内科を志望したようですが、眼科の説明会にも参加しました・・・理由は説明会が焼肉だったかららしいです。
服部先生もやはり人間ということですね(笑)
しかしそれが功を奏したのか、人生の師といえる木下茂教授と出会います。
その出会いから眼科医なることを決めます。
現在、京都府立医科大医学副学長という偉大な木下茂教授ですが、「角膜移植・屈折矯正レーザー手術・白内障手術などの新しい治療法の開発・再生医療の開発」といったことをテーマに研究なさっているようです。
ベトナムに行くまで・・・
多くの病院を経て、網膜硝子手術の分野で日本ではトップレベルの技術を持つ服部先生ですが、2010年1月にベトナム人医師と出会います。
そのベトナム人医師に「あなたが日本で指折りの網膜硝子体の専門医ならお願いがある。ぜひ、その技術をベトナムの医師に教えてもらえないだろうか」と指導をお願いされます。
これをきっかけにベトナムに行くことを決意するのですが、そのことを働いていた病院に相談すると「病院を辞めてから行け」と言われます。
この時の服部先生の収入は月収で200万、年収にすると1億円だったらしいのですが、きっぱりと諦めてベトナムに向かうことになります。
そしてこの時、病院を辞めたのをきっかけにフリーの眼科医へと変わっていくのです。
ベトナムでの治療
ベトナムでの治療は相当な困難な状態だったようで、器材や医療環境が整っていなかったそうです。
一番目についたのが、医師とか看護婦の意識の低さが問題だったようです。
スタッフたちの態度は面倒くさいという雰囲気が漂っていて、いくら働いても給料は同じという考えが蔓延していて、たとえ患者の手術が残っていても定時には帰ってしまう始末。
まずはスタッフたちの意識を変えようと・・・
もし自分の親や子供が病気だったら、君たちは手術をキャンセルしたり、時間外だからといって追い返したりしないはずだ。
患者にも大事な家族がいる。
本人も人生をかけて病院に来ている。
どの患者も必死だ。
君たちは、多くの人の期待と願いを背負っていることを忘れるな。
とベトナム人スタッフに言いきかせたところ、徐々に心を開きはじめて今では心に火がついた状態だといいます。
父からの遺書・・・生まれた信念
お父様は亡くなる前日、鉛筆でレポート用紙に遺書を書いていました。
その手紙の最後には4つの言葉が記してあったということです。
- お母ちゃんを大切にしろ
- 人に負けるな
- 努力しろ
- 人のために生きろ
この言葉は服部先生の胸にしっかりと刻まれていて、今もそれを信念として生きているようです。
服部先生にはもう一つ医療の現場から学んだ信念があるといいます。
[su_note radius=”0″]「患者を自分の家族と思え」[/su_note]
というもので、家族を大切に想う心は日本でもベトナムでも変わることない真理ということです。
そしてそれはベトナム人スタッフの心にも響いているようですね。
家族と年収
服部先生は結婚していますが、子供の情報は見つかりませんでした。
奥様は心の優しい方で、何よりも服部先生を理解しているようですね。
ベトナムに行くのを決意した時も、当初は3ヶ月だけ行くと約束したそうですが、結果10年以上もその生活が続いているということですね。
実際に活動を続けている服部先生自身も凄いですが、それを理解してあげる奥様も本当に素晴らしい方だと思いますね。
服部先生の気持ちや意志を汲みとることのできる真の理解者といえるでしょう。
それにしても、自宅に丸一日いれる日は1年で2~3日くらいしかない忙しさらしいです。
現在の収入ですが、年収400万~500万と言われているようです。
病院勤めの頃は、年収1億円といわれていましたので、生活も一変してしまったはずですよね・・・それも「家族のため」なら我慢できるということでしょうか?
服部匡志眼科医に診てもらいたい!
やはりこれだけ凄い先生に診てほしいという方も多いと思います。
ですが月に半分はベトナムにいるということでなかなか受診も難しいかもしれません。
だいたいどこにいるんだ?と思いましたので、調べてみました。
岩手県盛岡市:⇒ 谷藤眼科医院
茨城県つくば市:⇒ さくら眼科クリニック
埼玉県飯能市:⇒ 東飯能眼科
静岡県富士市:⇒ 聖隷富士病院 眼科
和歌山県和歌山市:⇒ 眼科 松本クリニック
↑↑これらの病院では非常勤医師として働いているようですが、スケジュールまでは確認できませんでしたので、各病院に問い合わせてみてくださいね。
服部匡志先生の書籍
最後に・・・
服部匡志眼科医は自分の意志を「家族を大切にする」という信念に基づいて行動する、心優しいヒーローだということがわかったと思います。
ベトナムでは「赤ひげ先生」といわれるようですし、日本ではその高い技術力から「神の手」をも言われるようです。
カンブリア宮殿では、感動の医療秘話なんかも聞けるかもしれませんね。
服部匡志眼科医が出演する、カンブリア宮殿は5月19日(木)22:00~放送です。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました!
他にも、健康に関する色々な病気の予防法や改善策、最新の医療情報などを配信していますので読んでいただけると嬉しいです。
出典元:www.logsoku.com*www.saisoncard.co.jp*blog.livedoor.jp**hayaokisanmon.hatenablog.com
引用元:新政界往来
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